2008年07月

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日本は仕掛けられ、平和を申し込むがズルズルと深みにはまっていった

支那事変を仕掛けたのは中国共産党だ

昭和12(1937)年7月7日の深夜盧溝橋(ろこうきょう)で、中国側の
了解を得て日本軍が演習をしていました。
中国へ日本軍が駐屯していたのは、侵略の為ではありません。
清国が各国に対して(我が国も含む)駐兵権を認めていたのです。
その駐兵権に基づいて駐屯していたのです。日本人(当時朝鮮人を
含む)を守っていたのです。
その当時蒋介石軍と日本軍は親しくして何ら争いがなかったのです。
深夜突如として日本軍と蒋介石軍に不法射撃をして姿を消した者があ
ったのです。
両軍は互いに相手を疑い戦争が起きました。後になって劉少奇(リュ
ウショウキ:中国共産軍)がスターリン(ソ連)の命令で俺がやったと
名乗り出ました。これが支那事変となり、大東亜戦争にまで発展した
のです。
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1.「ニューヨーク・タイムズ」アーベント特派員の記事
 「日本ハ第一次上海事件ヲ繰リ返スヲ好マズ、忍耐、隠忍以テ、極力
 事態ノ悪化ヲ防止セント努メタルモ、支那ニ於ケル外国権益ヲ渦中ニ
 引キ込ムヲ企図シタル支那人ニ依リテ、文字通リ戦争ニ押シ込マレタ
 ルナリ。」
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蘆溝橋事件の経緯

日本軍は支那軍の四度に渡る攻撃、七時間を堪えた。
後になって劉少奇(リュウショウキ:中国共産軍)がスターリン(ソ連)の
命令で俺がやったと名乗り出ました。
共産党軍の兵士向けのパンフレットには、
「廬溝橋事件は我が優秀なる劉少奇同志(後の国家主席)の指示によって
行われたものである」
とはっきりと記述されていました。

又、昭和24(1949)年10月1日、「中華人民共和国」成立のその日、周恩来首相も、
「あの時(廬溝橋事件の際)、我々の軍隊(共産党軍)が、日本軍・国民党軍双方
に、(夜陰に乗じて)発砲し、日華両軍の相互不信を煽って停戦協定を妨害し、我
々(共産党)に今日の栄光をもたらしたのだ」
と発言しています。
共産党自らが「自白」しているのですから、これ以上の証拠はありません。
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第二次大戦末期の沖縄戦の際、渡嘉敷島で起きた住民の集団自決について、戦後の琉球政府で軍人・軍属や遺族の援護業務に携わった照屋昇雄さん(82)が、

「遺族たちに戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用するため、
軍による命令ということにし
自分たちで書類を作った。
当時、軍命令とする住民は1人もいなかった」と証言した。
現在も多くの歴史教科書で「強制」とされているが、信憑性が薄いとする説が有力。
琉球政府の当局者が実名で証言するのは初めてで、軍命令説が覆る決定的な材料になりそうだ。
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[56]ほのか 08/05/05 12:40 kY0WAki2nG
上で幾人もの方々がおっしゃっているように「武士道」は江戸以前から存在しています。
確かに葉隠は江戸時代ですしそれ以前にはまだ武士道という明言化はされていませんが
戦国時代にはすでに士道という言葉があり、鎌倉時代には一所懸命があります。
思想として武士道が古来よりあったという事実は否定するだけ空しいものとなります。

ただし、そのように誤解される事そのものはあまり強く非難できません。
なぜならば、その誤解は「されても仕方の無い」ものだといえるからです。
つづく

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