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■好太王碑(広開土王碑) 最古の拓本発見 旧日本陸軍入手のものと一致

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■好太王碑最古の拓本発見 旧日本陸軍入手のものと一致

 古代日本の朝鮮半島進出を記録した好太王碑(中国吉林省)の最古の拓本が中国で発見され、倭(日本)との関係を示す記述が、旧日本陸軍が入手した拓本と一致することが、中国社会科学院の徐建新教授(日本古代史)の研究で分かった。
これによって、1970年代以降論争が続いてきた、旧陸軍が碑文の内容を書き換えたとする「碑文改竄説」は成立しないことが確定的となった



 好太王碑には、「391年以来、倭が海を渡って、百済や新羅を破り、臣民とした」とする記述がある。
この碑文の拓本を、1883年に旧日本陸軍参謀本部の酒匂景信が入手。参謀本部が、4世紀に日本が朝鮮半島を支配していたと解読した。

 戦後になって酒匂の拓本の信頼性が疑われ、李進煕・和光大名誉教授が1972年、「近代日本の半島進出を正当化するため、都合のいいように旧陸軍が改変した」と主張。日本、中国、韓国、北朝鮮4か国の研究者の間で大論争となった。その後、改竄を否定する有力な説も出たが、実物の検証が困難な状況で、決着には至ってなかった。

 東アジア各国に散在する約50種の拓本を実際に確認する作業を続けていた徐教授は一昨年、それまで最古とされていた酒匂の拓本より古い1881年作成の拓本を、北京のオークションで発見。
酒匂拓本とともにパソコンに取り込んで比較したところ、意図的な書き換えの痕跡はないことが判明した。その成果は今年、『好太王碑拓本の研究』(東京堂出版)として発表された。

 徐教授は「これで、皇国史観からも、軍の関与を証明するための研究からも脱却し、好太王碑が4~5世紀の東アジア史を解明する純粋な歴史資料として位置づけられるだろう」と自らの研究の意義を強調した。

 ただ、碑文の解釈については、倭を打ち破った好太王の業績を誇張するために、倭を実際よりも強大な勢力として記述したとの説が強く、改竄が否定されても古代の日本が朝鮮半島を支配していたかどうかの問題を決着させることにはならない。

 吉村武彦・明治大教授(古代史)は、「拓本には信憑性があり、長年の論争に終止符が打たれたと言える。パソコンの画像で比較するという10年前には考えられなかった手法で、IT時代ならではの成果だ」と評価する。

 一方、李名誉教授は「拓本に付随する書き付けの記述を、製作年代の根拠にしているが、本物かどうか疑問が残る。まだ疑惑が払拭されたわけではない。」と反論している。

補足:
好太王碑 
広開土王碑ともいう。
現在の中国東北部から朝鮮半島北部を統治した高句麗(紀元前後~668年)の好太王を顕彰するため、没後2年の414年、吉林省集安市に建立された。高さ6.2㍍で東アジア最大の墓碑。王の戦績など約1800字が刻まれている。1880年に中国(清)の役人が発見した。近くにある古墳群とともに世界遺産に登録されている。
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コメント
この記事へのコメント
  1. 名乗るほどの者では…  2008/04/10(木) /18:25

    1972年、岩波の『思想』(歴史の学術誌ではなかった!)に、李進煕が発表した旧日本軍の碑文改ざん説。
    70年代後半には学会で、否定された説ではあるが、何故か高校の教科書には細字で記載され続け、拓本を入手
    した酒匂景信(さこう・かげのぶ)砲兵中尉は、「改ざん者」として日本の青少年に記憶される事態となっている。

    平成5年、福井の小児科医・白崎昭一郎氏が『広開土王碑文の研究』で、李進煕を論破。公開質問状を送るも、李氏
    に黙殺される。

    そして去年、中国で、酒匂景信中佐が入手した酒匂本より古い拓本が発見され、文字が酒匂本と一字一句変わらず、
    酒匂氏と旧日本軍の無実が改めて証明された。

    酒匂氏と旧日本軍に言いがかりをつけて、誹謗・中傷し、李進煕は和光大学名誉教授にまで成りあがった。
    現在、「そもそも、碑文に刻まれている事跡が本当の事とは限らない」などと、批判の矛先をかわしている。

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