元寇って本当に台風で勝てたの?何かおかしくない?

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元寇って本当に台風で勝てたの?何かおかしくない?【日本】【天晴】

モンゴルは世界帝国で世界史にも大きな影響を与えただけに
『蒙古襲来絵詞』は世界中の学者が研究対象にしている。
そしてイルハン国の史書「集史」の挿絵と細部にまで渡って
一致している点が多く極めて価値が高い史料という形で史料批判はなされた。
しかし教科書に登場する3人の元軍兵士は他の鎌倉武士の集団騎馬攻撃に逃げ惑い、
中には矢が刺さって死んでる兵士たちと色彩や冑など異なっているので
この3人は後世の加筆で史料としての価値なしと判断された。

ひどいもんだよ。戦後の歴史教育。
世界中の学者の史料批判を経た史料の中で価値が高い部分を全部カットして
無価値なところだけ載せて子供に嘘教えるんだから。

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314 :名無し三等兵:2008/01/14(月) 10:27:32 ID:y8KVOgDE
世界中の国がモンゴル軍相手にヒーヒー言ってた時代に、日本だけは楽々とモンゴル軍を粉砕。
大陸の興亡なんて日本から見れば数段レベルの低い争いだったということだ。


315 :名無し三等兵:2008/01/14(月) 13:38:30 ID:???
そんなことないだろう


316 :名無し三等兵:2008/01/14(月) 14:21:34 ID:y8KVOgDE
>>315
何を根拠に「そんなことないだろう」なんて言ってるの?
現実に大陸で圧倒的な強さを誇ったモンゴル軍が鎌倉武士には全く歯が立たなかったんだから、
当時の日本は同時代の大陸より数段進んだレベルだったってことじゃん。



317 :名無し三等兵:2008/01/14(月) 17:10:16 ID:???
対馬や壱岐の部隊は蒙古軍が来襲して1~2日程度で玉砕。
伊松に上陸した蒙古軍にも現地部隊が撃破され、
博多湾から上陸した高麗軍にまで現地部隊を撃破される始末。

鎮静軍主力が到着してやっと蒙古軍の進出を停止することが出来たが、
戦場となった百道原は湿原地帯で蒙古軍の機動力が発揮できなかったことが大きな要因と考えられる。

結論
 どちらかというと歯が立たなかったのは鎌倉武士の方であった。




318 :名無し三等兵:2008/01/14(月) 17:43:01 ID:y8KVOgDE
>>317
対馬や壱岐や博多湾上陸地点を守っていた兵力なんて元軍よりも二桁以上少ない数なんだから、 撃破できるのはあたりまえ。
むしろ対馬制圧に約一週間、壱岐制圧に丸二日もかかってることの方が異常。
あきらかに戦闘力はモンゴル軍よりも鎌倉武士の方が遥かに上。

博多湾から上陸した後だって、鎌倉武士の方はしっかりと騎馬の機動力発揮してモンゴル軍を圧倒してるのに、地形のせいだなんて言い訳は通用しない。

だいたい、敗北したのはモンゴル軍の方なのに、「歯が立たなかったのは鎌倉武士の方」なんて結論になるわけないだろ。



321 :名無し三等兵:2008/01/14(月) 18:42:08 ID:Ry5NXp3h
武士団は昼過ぎには蒙古軍を海岸まで押し戻してるんじゃないの?


322 :名無し三等兵:2008/01/14(月) 19:14:45 ID:???
ご存知だとは思いますが
文永の役のとき戦闘が行われたのは鳥飼、別府、赤坂といった内陸ですよ
百道浜から上陸してきた高麗・元連合軍は一気に西新の南、祖原山へと進出しました
蒙古襲来絵詞で有名な竹崎李長はこのとき自身を含めたわずか五騎で祖原山に奇襲をかけています、当時29歳ですね
鳥飼から西新にかけては湿地帯で騎馬での戦闘には支障があったでしょうね
弘安の役のときは防塁によって上陸を阻まれた高麗・元連合軍は一旦志賀島に集結しましたが
このとき鎌倉側はボートで高麗船を奇襲したり、海の中道から志賀島へ進軍して攻撃したりしていますね
地の利があったとはいえ鎌倉武士たちの活躍ぶりは見事だと思います



324 :名無し三等兵:2008/01/14(月) 19:39:59 ID:???
>>316
つか、モンゴル軍の撃退に成功したのは日本だけじゃないし。


325 :名無し三等兵:2008/01/14(月) 19:59:33 ID:???

マムルーク朝がアイン・ジャールートで勝ったモンゴル軍は僅か1万2千程度の兵数。
文永の役のモンゴル軍の約三分の一、弘安の役だと一割にも満たない兵数。
北ベトナムの陳朝だって攻め込まれる度に首都征服され、ゲリラ戦でやっと撃退だろ。
比較すれば、14万もの大軍を九州に橋頭堡を築かせないまま壊滅させた日本の凄さが際立つだけ。



326 :名無し三等兵:2008/01/14(月) 20:06:51 ID:???
>>323
>モンゴル軍は攻撃目標の大宰府に到達できないまま僅か一日で敗退したんだから、

敗退?
鎮西軍も策源地まで下がってるだろうが。


>当然正面の戦闘では鎌倉武士に手も足も出なかったと考えるべきだろ。


というのだったらなぜ追撃が行われなかったの?
つまるところ痛みわけだったからではないか。



328 :名無し三等兵:2008/01/14(月) 20:24:58 ID:???
必ず追撃しないといけないか?


329 :名無し三等兵:2008/01/14(月) 20:29:15 ID:???
勝敗はついたけど、敗走する敵を追わなかったという戦闘はいくらでもあるよね。

331 :名無し三等兵:2008/01/14(月) 20:43:33 ID:???
>>326
日本の史料にも元の史料にも高麗の史料にも「元軍が戦って負けた」と書いて
あるんだから文永の役は「痛みわけ」ではなく明確に「元軍の敗退」。



332 :名無し三等兵:2008/01/14(月) 20:47:49 ID:2k933+n2
追撃をしない理由がないのに追撃をしない馬鹿はいない
理由がないのに追撃をしなかったとしたら、追撃を出来なかったと考えるのが妥当
では、何故追撃が出来なかったのか?と考えるのがロジック



333 :名無し三等兵:2008/01/14(月) 20:51:26 ID:???
>>332
日本軍はしっかりと追撃してるけど。。。
「蒙古襲来絵詞」には敗退する元軍を追撃する武士の様子が描かれている。


335 :名無し三等兵:2008/01/14(月) 20:56:35 ID:2k933+n2
追撃が出来なかったとしたら、ハード面で出来なかったのか?ソフト麺で出来なかったのか?
損得勘定から敢えて追撃をしなかったのなら、それによって何を得たのか?
僕はこう思う!!みたいな小学生みたいなおおざっぱな意見なんかいらない、そう思うに至った過程を端的かつ明確に書け書け

非建設的すぎる


336 :名無し三等兵:2008/01/14(月) 20:59:45 ID:???
>>335
だから追撃してるって


337 :名無し三等兵:2008/01/14(月) 21:05:44 ID:???
>>335
小学生みたいな癇癪もいらない。


338 :名無し三等兵:2008/01/14(月) 21:07:53 ID:???
>>332
>追撃をしない理由がないのに追撃をしない馬鹿はいない

一般的な話だけど、戦闘の目的が敵を退却させる事であって、全滅させることでなければ、追撃はしないよね。
追撃しなかった理由を考えるのは止めないけど、「痛み分け」に短絡するのは良くないよ。

まあ、台風の後に日本に残った元軍の人たちは、掃討・虐殺されたみたいだけど。。

339 :名無し三等兵:2008/01/14(月) 21:18:10 ID:???
元軍というより高麗軍ですね
高麗は元の力をバックに日本を侵略できると喜び勇んで出撃したのでしょうが
結果は悲惨なことになりました



340 :名無し三等兵:2008/01/14(月) 21:19:51 ID:???
>>335
>ハード面で <--- これは正しく変換できているのに、
>ソフト麺で <--- その直後のこれが変換できないのは興味深い。

給食を食べてる人なのかな?
というか、古い戦闘を分析する上で、何の定義づけもせずに
ハード面、ソフト面という言葉を振り回す人も珍しい。

もちっと冷静になってくれ。


341 :名無し三等兵:2008/01/14(月) 21:33:38 ID:???
>>335
>損得勘定から敢えて追撃をしなかったのなら、それによって何を得たのか?

追撃というリスクの回避


342 :名無し三等兵:2008/01/14(月) 21:35:11 ID:???
>>335
蒙古襲来絵詞・詞書
「武房に、凶徒赤坂の陣を駆け落とされて、二手になりて大勢は麁原に向きて退く。
小勢は別府の塚原へ退く。塚原より鳥飼の汐干潟を大勢に成り合はむと退くを追ひ
駆くるに馬干潟に馳せたばして、その敵を延す。凶徒は鹿原に陣を取りて、いろいろ
の旗を立て並べて、乱鐘暇なくてひしめきあふ。季長馳せ向かふを、藤源太資光申す。
御方は続き候らん。御待ち候ひて、証人を立てて御合戦候へ、と申すを、
弓箭の道先を以て常とす。ただ駆けよ、とて、をめいて駆く。凶徒麁原より鳥飼潟の
塩屋の松のもとに向け合はせて合戦す。一番に旗指馬を射られて跳ね落とされる。
季長以下三騎痛手負ひ、馬射られて跳ねしところに、肥後国の御家人白石六郎通泰
後陣より大勢にて駆けしに、蒙古の軍引き退きて麁原に上がる。馬も射られずして、
夷狄の中に駆け入り、通泰通かざりせば、死ぬべかりし身なり。思いの外に存命して、
互ひに証人に立つ。筑後国の御家人光友又二郎、首の骨射通さる。同じく証人に立つ。」


元軍は赤坂で日本軍に敗北。
その後、日本軍は麁原まで敗走する元軍を追撃してる。
納得した?


343 :名無し三等兵:2008/01/14(月) 21:41:39 ID:???
>>332, >>335 ID:ID:2k933+n2
どうした? 他人の分析と書き込みを心待ちにしているようだけど、
元寇のレポートでも書いてて、提出期限が迫って困っているのか?


344 :名無し三等兵:2008/01/14(月) 22:08:57 ID:7irO0Uyh
憲法9条のお陰です。




356 :名無し三等兵:2008/01/15(火) 01:04:58 ID:???

蒙古襲来絵詞は元寇で実際に戦った人物が残した唯一の史料。
それに、元軍が戦って負けたと書いてある史料は蒙古襲来絵詞だけじゃないし。


『高麗史』八十七巻
「十月、金方慶與元元帥忽敦洪茶丘等征日本、至壹岐戰敗、軍不還者萬三千五百餘人。」

『鎌倉年代記裏書』
「十月五日、蒙古寄来、着対馬嶋、同廿四日、大宰少弐入道覚恵代藤馬允、於大宰府合戦、異賊敗北、」

『帝王編年記』
「六日。飛脚到来。是去月廿日蒙古与武士合戦。賊船一艘取留之。於鹿嶋留抑之。其外皆以追返云々。」



361 :名無し三等兵:2008/01/15(火) 08:45:49 ID:???
鎌倉武士は執拗かつ狡猾ですよ
元寇は侵略してきた軍勢を撃退した時点で勝利でしょう
リスクを背負って追撃する必要はありません、鎌倉が朝鮮侵略を考えていたのならば別でしょうが
今まで戦ったことのない戦法をとる軍勢を相手にこれを一日で撤退させた
文永の役での武士たちの戦いぶりは見事です、この戦いから学んで防塁など軍備を整備し
後の弘安の役でも高麗・元軍による日本侵略を許さなかった、これらの戦役はもっと研究されるべきでしょうね
内輪での戦闘ばかりしてきた日本人が「日本」という国家を初めて意識するきっかけにもなったのではないでしょうか



362 :名無し三等兵:2008/01/15(火) 08:58:48 ID:???

史料ではっきりと鎌倉武士が追撃してるんだから、日本軍の一方的な勝利じゃん


363 :名無し三等兵:2008/01/15(火) 15:33:56 ID:???

例え遅滞戦術の末の撃退で追撃戦を行なっていなくても、
最終的に敵に凄まじい損耗を強いたケースは多々ある。
気象条件は確かに大きいが、気象が影響しない戦争などありえない。
また当時の戦況から、「台風が無ければ蒙古軍に日本は占領されていた」
=「蒙古勝利・日本敗北」という展開も、まず考え難いであろう。

「勝敗の判定」は見方によって変わる為に確かに難しい所ではある。
損耗率で敵を上回っても、敵の戦争目的を挫けば勝利と言えるし、
逆に敵に凄まじい損耗を与えた場合だけ、勝利とされる事もある。
しかし「追撃戦」をもって勝敗の判定を行うのは寡聞にして聞かない。
まさか「カンネーの包囲殲滅戦」を敗北とみなしてしまうのか?!


彼我の損耗率で圧倒し、彼の戦争目的を阻み、我の戦争目的を達成して、
「勝利」でないなら、これはもう戦争の議論の範疇から逸脱している。


364 :名無し三等兵:2008/01/15(火) 16:25:44 ID:???
追撃されるソフト麺www


365 :名無し三等兵:2008/01/15(火) 17:02:06 ID:???

文永の役の副司令官の劉復亨は、キト・ブカがフレグの先鋒として中東遠征に参加していた時、
モンケ・ハーン直属の武将として萬戸を率いて南宋遠征に参加し、釣魚山攻めで手柄を立てた人物だよ。
元寇の元軍が二線級の戦力なわけないでしょ。
それからキト・ブカが率いていた戦力については、集史に『五千の騎兵と歩兵』と言う表現もある。


367 :名無し三等兵:2008/01/15(火) 17:27:23 ID:???

文永の役の元軍は「撤退するために乗船した」と明確に史料に書いてある。
弘安の役でも元軍は日本軍に連戦連敗で台風が来るまでの2ヶ月間逃げ回ってただけだし。
実際、台風の損害は船だけに限定され、地上兵力の損害は軽微だったけど、元軍10万以上は
日本軍の掃討戦で皆殺しにされちゃったのね。



369 :名無し三等兵:2008/01/15(火) 20:10:38 ID:Y/wjMWBD
高麗征服は主力を南宋戦に派遣して一部を高麗に遣わし、 高麗はその一部にやられた。
だから韓国人の学者がほざいているような高麗人の抵抗でモンゴルはへとへとに疲れて日本が救われたなんていうのは全く事実無根。
しかし俺は中学時代教師にこの韓国人の大嘘を教わった。



371 :名無し三等兵:2008/01/15(火) 23:07:09 ID:Y/wjMWBD
モンゴルは世界帝国で世界史にも大きな影響を与えただけに『蒙古襲来絵詞』は世界中の学者が研究対象にしている。
そしてイルハン国の史書「集史」の挿絵と細部にまで渡って一致している点が多く極めて価値が高い史料という形で史料批判はなされた。

しかし教科書に登場する3人の元軍兵士は他の鎌倉武士の集団騎馬攻撃に逃げ惑い、中には矢が刺さって死んでる兵士たちと色彩や冑など異なっているのでこの3人は後世の加筆で史料としての価値なしと判断された。

ひどいもんだよ。戦後の歴史教育。
世界中の学者の史料批判を経た史料の中で価値が高い部分を全部カットして無価値なところだけ載せて子供に嘘教えるんだから。



373 :名無し三等兵:2008/01/15(火) 23:24:44 ID:???
蒙古襲来絵詞の加筆説を検証した佐藤鉄太郎氏の本って、1万近くもするのね
学術書なら当たり前か……近くの図書館にあるかな?

どうでもいいけど、帝国海軍のあの人と同姓同名なんだな、通販サイトで著者が混同されてるぞw


374 :名無し三等兵:2008/01/16(水) 04:24:15 ID:???

>・元軍は「台風で負けた」=日本に負けた訳ではない

こういうふうに考えたい人って、今もいるのかね?
でも、結局日本に負けたわけで。



375 :名無し三等兵:2008/01/16(水) 10:16:16 ID:???

フレグの中東遠征も元寇も両方とも対南宋戦と同時に行なわれてるんだよ。
それなのに、元寇についてのみ対南宋戦を理由にして二線級の戦力なんていうのは
矛盾してるでしょ。


380 :名無し三等兵:2008/01/16(水) 16:07:13 ID:???
鎌倉幕府軍が弱かったら、日本は確実に負けてます。

「文永の役」でも「弘安の役」でも、元軍は日本到着までは成功してます。
即座に九州を奪えなかった=鎌倉幕府軍が強かった ではないでしょうか?

弘安の役後は、計画だけで実際に侵攻なんかして来なかった訳ですが、
「鎌倉幕府軍なんか簡単に勝てる!短期間で九州くらい楽勝!」という見込みを
元軍が持っていたら、暴風雨の季節を避けて渡海すれば良いだけですから、
何度でもすぐ侵攻して来たと考えられないでしょうか?

また、「北条時宗」にスポットライトが当たらないのが不思議です。
日本が侵略される未曾有の危機に断固として立ち向かった英雄です。
彼の様な人を「英雄」とすると、都合が悪い人々がいるとしか思えませんが…



382 :名無し三等兵:2008/01/16(水) 17:16:10 ID:???
「元軍」と言うが、主力は東路軍=高麗軍、江南軍=宋軍?
だとしたら、全くやる気なんかないよな?

モンゴル兵も、士気は低かったんじゃないかな?
簡単に楽勝で勝てるなら良いけど、苦戦しだしたら絶対帰ろうとする筈。

~想像~
遙か東の聞いたことも無いような島国で、夜は野蛮人が襲ってくる。
長期間不潔な船にギュウギュウ詰めで、シラミとか疫病出まくりで臭いわ汚いわ。
「現地のイイ女選び放題!」「好きに略奪してヨシ!」
「勝てば一生お大尽だぞ!」「行かなきゃ頃すけど?」
こんな事を上に言われても…なんとかして適当に切り上げて帰るだろ普通?

で、「ヨッシャ帰ろう!」とした所で暴風雨でアボーンしたのが真相か?
もしくは暴風雨で統制が解けた所で集団脱走したとか。



383 :名無し三等兵:2008/01/16(水) 17:20:34 ID:???
>>382
東路軍=高麗軍じゃないよ。
高麗軍は東路軍のごく一部。


386 :名無し三等兵:2008/01/16(水) 21:37:25 ID:eD4MRaRU

>>385
いやいや来たって史料はどこかにありますか?
南路軍の司令官、南宋の名将といわれた男。
そんな将軍が士気の低いいやいや連中ばかりをつれて来たってそんな馬鹿げたこと信じられる?
物見遊山に行くんじゃない。戦争にいやいや行って負けたら待っているのは死か奴隷か。


389 :名無し三等兵:2008/01/16(水) 22:52:35 ID:???
太平洋戦争末期のアメリカ潜水艦は
「攻撃準備完了」を「カントウセイシンオウセイナリ」
「魚雷発射!」を「トキムネ!」と信号していたようですね
「カミカゼ」という言葉を生んだ元寇をよく研究し、北条時宗をそれなりに評価していたのでしょう
時宗は若くして執権になったせいか、時頼に仕えていた家臣団からはよく思われていなかったのでしょうか



391 :名無し三等兵:2008/01/16(水) 23:53:01 ID:???
元が負けて船乗っ取って倭寇になった呉や越住民が多かったでFA


392 :名無し三等兵:2008/01/17(木) 05:41:25 ID:cvy1gxkr
面倒だから朝鮮半島の造船技術の欠陥のせいで
モンゴル軍は勝手に沈没しましたってことでいいよね(´・ω・`)


393 :名無し三等兵:2008/01/17(木) 05:52:03 ID:???

 ∧∧
<,,`∀´>
「汚らしいモンゴル軍の将軍を口先で騙してイルボンにおびき寄せ、
 船の欠陥を利用して始末してきたニダ。
 我ながら賢く誇らしい計略ですねホルホルホルホル」

   ∧ ∧
  <`∀´l|l>
「……で、大陸にいるモンゴル軍が怒ってウリたちの地元を燃やして
 暴れてるけど、ウリたちはどうすればいいニカ?」

 ∧∧

「い、今すぐ謝るニダ!ウリの船は強かったニダ!!史上最強ニダ!!
 負けたのはモンゴル軍が弱いからで了解スミダ!!
 アイゴー!!鞭で打つのはやめて欲しいニダ!!アイゴ~~~!!!11」



394 :名無し三等兵:2008/01/17(木) 05:53:52 ID:KvL8RB0y
>>1

実際のところはどうだったのだろうか?
答えは簡単である。当時にかかれた絵をみればわかる。

当時に書かれた絵を見れば解ると思うけど
元兵は騎馬戦で戦ってない。日本兵の方が馬にのっている。

また日本兵の武器が太刀と言うのは誤りだな。
弓矢を使用している


蒙古襲来絵詞
ttp://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/index.html


401 :名無し三等兵:2008/01/17(木) 08:43:19 ID:vyZvjRGb
日本中世史オタは馬鹿が多いので嫌いなんだが
そんな頭の悪い君らでもとりあえずすぐに理解できることを書いてやろう

16世紀の後半、日本軍は朝鮮の侵略をはかりましたが
結局領地を残せず全軍撤退しました。つまりは日本人は朝鮮人に負けたのかね?



402 :名無し三等兵:2008/01/17(木) 09:05:21 ID:???
>>401
朝鮮人には負けてないよ。
秀吉の朝鮮侵攻の時、朝鮮は日本軍に速攻で完敗。
その後の朝鮮半島は明軍と日本軍の戦場になっていただけ。
だから明も秀吉も李氏朝鮮は亡国扱いで頭越しに交渉を進めたのね。


406 :名無し三等兵:2008/01/17(木) 09:54:16 ID:???
第二次大戦で、ドイツ軍はポーランドの侵略をはかりましたが
結局領地を残せず全軍撤退しました。
でも、ドイツ人はポーランド人に負けたとはいわないよね。
それと同じ。

朝鮮も日本軍にボロ負けし、その後は戦場になっていただけ。


412 :名無し三等兵:2008/01/17(木) 10:13:51 ID:???
>>401
そもそもの目的は明国を占領することですよ
当時は「唐入り」と言っていました
日本は当時世界レベルで見ても最大最強と言ってよい軍事力を持っていました
朝鮮半島での戦闘では朝鮮の軍勢は簡単に撃破し、意外なほど容易に首都漢城を落としましたが
朝鮮には日本の軍勢を押さえられないだろうという危機感を持って駆けつけた明国の軍勢には苦戦しました
日本と明が半島を戦場として戦った戦役です


414 :名無し三等兵:2008/01/17(木) 10:17:00 ID:???
戦争目的の達成・不達成で勝敗を決めるのも、あながち間違いではない。

直接交戦なしに朝鮮併合を果たしたのは、正に孫子的大勝利だろうな。



416 :名無し三等兵:2008/01/17(木) 10:20:41 ID:???
朝鮮出兵で日本軍は朝鮮の首都漢城を攻め落としたのに、
元寇ではモンゴル軍と高麗軍と南宋軍が
束になっても九州に橋頭堡を築くことすら出来なかった。
同じ対馬海峡越えの軍事侵攻なのに。。。



417 :名無し三等兵:2008/01/17(木) 10:39:52 ID:???
フィンランドとソ連の冬戦争の様に、45万対16万の圧倒的な彼我差の中で、
ソ連に大損害を与える激戦の末、結局はソ連の大物量に押されて
要求を呑まざるを得なくなったが、あれは敗北か?
マンネルハイム元帥は「救国の英雄」なのだが。

「300」で有名なスパルタ軍は10万人相手に全滅したが、これも敗北?
「レオニダス(レオニード)」と言えば「勇者」の代名詞なのだが。

朝鮮がそんな「勇戦」をする姿を見てみたいな。
「三別抄」も首領の裴仲孫が裏切って自壊してるし、
勇戦してモンゴル軍に大打撃を与えた様子も無い。
戦争目的も戦闘内容も敗北ですよね?



423 :名無し三等兵:2008/01/17(木) 11:10:32 ID:???

マウントポジションでボコボコにしてたら、
ヘヴィ級のパパが加勢して来た感じか?

さして殴られないで生きて帰っただけで充分だ。


マントポジションでボコボコにされてた奴を
世間は「負け犬」と呼ぶだろうがな。




426 :名無し三等兵:2008/01/17(木) 11:15:52 ID:???
秀吉の朝鮮出兵について語りたければ、そのスレが軍版にあるでしょ。
ここは元寇のスレなんだから、13世紀の日本のモンゴル・中国・朝鮮に対する
輝かしい勝利について語ろうぜ。



427 :名無し三等兵:2008/01/17(木) 11:22:00 ID:???
朝鮮出兵が出てきたのは逆バージョンを提議することによって
元寇についての主張の矛盾点をつくためだろう
つか面白いからもっとやれ



428 :名無し三等兵:2008/01/17(木) 11:23:15 ID:???
元寇についての主張の矛盾点って何?


429 :名無し三等兵:2008/01/17(木) 11:38:50 ID:???
てかね。

朝鮮出兵文禄の役の撤退理由って知ってますかね?
別に明の援軍のせいじゃないですよ。補給が上手くいかなくなったからです。

じゃあ何で補給が上手くいかなくなったのでしょうか?
それは陸上輸送部隊が朝鮮人のゲリラに襲われたからです。

何で海岸輸送を積極的におこなわなかったのか?
そりゃ朝鮮人の提督に海戦で負けたからです。

日本人は朝鮮人に負けたの?
まあ完璧に負けですな。


430 :名無し三等兵:2008/01/17(木) 11:44:31 ID:???
>>429
明史にはそう書いてないぞ。
朝鮮軍も明軍も日本軍に勝ち目はなかったが、秀吉が死んだお陰で戦争が終わったと書いてある。
それが当事者たちの認識。



431 :名無し三等兵:2008/01/17(木) 11:49:18 ID:???
文禄の役と慶長の役の違いも知らんのか

432 :名無し三等兵:2008/01/17(木) 11:52:58 ID:???
>>431
文禄の役では朝鮮から撤退してないじゃん。
日本軍は朝鮮半島に居座ったまま。



433 :名無し三等兵:2008/01/17(木) 11:54:24 ID:???
>>429

              ☆ チン     マチクタビレタ~
                         マチクタビレタ~
        ☆ チン  〃  ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
          ヽ ___\(\・∀・) <  ソースまだぁ~?
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435 :名無し三等兵:2008/01/17(木) 11:59:00 ID:???
>>429
何で日本軍が朝鮮半島に居座ったままなのに「完璧に負け」なの?


437 :名無し三等兵:2008/01/17(木) 12:04:55 ID:???
朝鮮出兵を出したのは逆バージョンを提議することによって
元寇についての主張の矛盾点をつくためなんでしょ?
何時になったら元寇についての主張の矛盾点が出てくるの?


438 :名無し三等兵:2008/01/17(木) 12:07:21 ID:???
しらないよ
実際そうなのか真意も知らないし



442 :名無し三等兵:2008/01/17(木) 12:13:08 ID:???
秀吉が死=台風
鎌倉武士の奮戦=明の奮戦


445 :名無し三等兵:2008/01/17(木) 12:20:20 ID:???
>>442
朝鮮出兵で日本軍は秀吉が死ぬまで朝鮮南岸に拠点を確保していたし、
漢城や平壌を占領したこともある。
でも元寇の元軍は台風が来るまで鎌倉武士に歯が立たず逃げ回ってただけ。
海岸から10キロちょっとの大宰府に到達することすら出来なかったでしょ。



446 :名無し三等兵:2008/01/17(木) 12:23:33 ID:???
そりゃ時代の差航海術武装の差があるから単純比較するのは危険だな


447 :名無し三等兵:2008/01/17(木) 12:27:43 ID:???
やっぱこいつゲーム感覚で語ってんなぁ
「俺は3200点でゲームオーバー、友達は2200点だから俺の勝ち」てのじゃないんだけどね。


448 :名無し三等兵:2008/01/17(木) 12:29:30 ID:???
>>446
朝鮮出兵で日本軍は上陸してすぐに釜山を攻略したけど、元軍は文永の役でも
弘安の役でも上陸後すぐに撃退されてるじゃん。

航海術云々はまったく無関係で、陸戦で日本軍よりも弱かっただけでしょ。


449 :名無し三等兵:2008/01/17(木) 12:41:12 ID:???
>>447
戦争の犠牲者は一人でも少ない方が良いと考えるのは当然でしょ。
国土全部を戦場にして何年もかかって敵を撃退するよりも、敵に橋頭堡を築かせないまま
短期間で撃退した方が遥かに優ってるという認識のどこに問題がある?



450 :名無し三等兵:2008/01/17(木) 12:52:08 ID:???
醜い搾取を行っていた李氏朝鮮の王族や貴族たちから
朝鮮人民を解放した側面も見逃せないところですね
国家を見限った朝鮮人民は相手が日本軍であれ明軍であれ朝鮮軍であれ略奪を繰り返しました



451 :名無し三等兵:2008/01/17(木) 14:10:55 ID:???
>>447

彼我の損耗比も大事な要素だが?

勿論最終目標の達成を目的として全ての軍事行動は行われるが、
「我の損害を最小に抑え、彼の損害を最大にする」のも目標の一つ。
ほぼ全滅に近い大損害と、整然と撤退したのでは異なる。

また「国土の防衛」が守勢側の最終目標だったとするならば、

朝鮮は国土のほぼ全域を蹂躙されており、これに失敗している。
日本は壱岐対馬と九州の一部を蹂躙されたが、ほぼ全土の防衛に成功している。
戦争で失った「被害」もいずれが大きかったかは明白。



452 :名無し三等兵:2008/01/17(木) 15:08:46 ID:???
秀吉の失敗は譜代にやらせたこと
外様の家康や伊達にやらせりゃよかった




460 :名無し三等兵:2008/01/17(木) 21:50:38 ID:aMPDB4ac
なんか朝鮮っていつの時代も負け犬だな。


461 :名無し三等兵:2008/01/17(木) 22:45:25 ID:???
そのうち「ヤン語録」とか持ち出してきそうだな。

しかし地理的な位置関係が原因で(それだけじゃないだろうけど)、
属国、衛星国家、併合、内戦、分裂とかの憂き目にあってるわけで
災厄続きだね。


462 :名無し三等兵:2008/01/17(木) 22:48:03 ID:UNwvk/Kt
丁寧に史料を提示してくれる人と、自分の思い込みだけを語る人のギャップが凄くて笑った。


そんな中で、>>8を讃えたい。



463 :名無し三等兵:2008/01/17(木) 22:53:57 ID:???
>>230は神経症か何かか?

何百年も前の戦争の勝利を言うことに、何を怯えているんだw
これがサヨク思考なのか??
ナイーブというのか、外国マンセーなのか、思考回路が全く理解できない

465 :名無し三等兵:2008/01/18(金) 00:40:33 ID:???
アカ狩りをやらない限り日本の歴史学会は腐ったまま。


466 :名無し三等兵:2008/01/18(金) 08:04:41 ID:???

日本以外のモンゴルに勝った国って元寇よりも一桁や二桁少ない兵数のモンゴル軍に勝っただけ。
それも国土を散々蹂躙された末にやっと撃退とかね。
文永の役や弘安の役の圧勝と比較すれば全部大した事ないものばかり。



467 :名無し三等兵:2008/01/18(金) 17:38:01 ID:???
やっぱ島国は負けにくいけど勝つのも難しい


468 :名無し三等兵:2008/01/18(金) 17:46:09 ID:???
>>467
そんなことない。
イギリスも島国だけど何度も大陸に征服されている。


469 :名無し三等兵:2008/01/18(金) 17:58:57 ID:???
ドーバーと対馬じゃ大違いだと思う
イギリスからフランス見えるんだろ


470 :名無し三等兵:2008/01/18(金) 18:20:49 ID:???

1016年にイングランドを征服したクヌートは遠くデンマークから北海越えて侵攻したんだし、
1066年にウィリアム征服王が渡ったのはドーバーではなくイギリス海峡。
イギリス海峡は100キロ位あるし、北海に至っては対馬海峡より遥かに距離が長い。


471 :名無し三等兵:2008/01/18(金) 18:55:21 ID:???
へーそうなんだ
でも、そのあと海峡を最大限に利用して帝国作ったんだしなあ
デンマークをロシアドイツの門番
オランダをドーバーで締め上げってなかんじで
征服される前のケルトやローマの占領民ってどれくらいいたんだ?


472 :名無し三等兵:2008/01/19(土) 07:50:51 ID:???
>>227
じゃあイタリアは強いんだ!


473 :名無し三等兵:2008/01/19(土) 07:55:29 ID:???
>>470
一度甘い顔をすると敵はとことんつけこんできますからね
当時のイングランド人はクヌートに貢物さえくれてやれば平和が守られると思っていたのでしょう
そういう意味では断固として元の要求を拒否した鎌倉の決断、
そして侵攻軍を迎えこれを打ち破ったことは
後の明などによる日本侵略を抑止したという点で、
その後の日本の歴史においても大きな影響を持ち続けたということになりますね



474 :名無し三等兵:2008/01/19(土) 13:10:54 ID:???
>>472
どの時代のイタリアを指しているのか分かりませんが
古代ローマなら世界最強クラスですし、
WW2ならば同胞で殺しあう羽目になっているので「うまくやった」とは言えませんね


475 :名無し三等兵:2008/01/19(土) 14:17:12 ID:???
元寇もひどいが、古代日本史もひどい。
何人の天皇を実在しないことにして闇に葬れば気が済むのだろうか?
根拠もなく




476 :名無し三等兵:2008/01/19(土) 18:11:54 ID:vmJ8u2Ct
高麗がモンゴル(中国基盤政権)にけしかけて始まったのが元寇なんだよな。
50年後くらいにありえなくも無い話だな。



477 :名無し三等兵:2008/01/19(土) 18:46:43 ID:???
>>476

あの国は「常に緩衝地帯」にしておかないとな。
統一朝鮮が中国と日本のどちらに味方するかは明白。

韓国の小学生に日本の絵を書かせると、日本が燃えてるか沈んでる絵を描く。


478 :名無し三等兵:2008/01/19(土) 19:22:01 ID:DYQr8kE8
日本のゆとりは韓国の絵なんて描けないんだから笑えない


479 :名無し三等兵:2008/01/19(土) 20:36:35 ID:???
>>477
でもそのガキ共は日本の漫画とアニメとゲームに夢中なんだよねえ。
なんかいろんな意味で可哀想な連中だ




482 :名無し三等兵:2008/01/19(土) 21:32:37 ID:???
>>478
ヒント
普通の日本人は韓国に興味がない



483 :名無し三等兵:2008/01/19(土) 22:43:37 ID:???
興味がある日本人は嫌韓になるな
知れば知るほど嫌いになる国だから



484 :名無し三等兵:2008/01/19(土) 23:00:07 ID:???
私はいわゆる「韓流」で韓国についていろいろ調べてから嫌韓になりましたね
とくに韓国の歴史を勉強しようとして手にした在日の歴史学者?の著書を読んで呆れ果てました

「高麗がサボタージュしたおかげで日本は元に征服されなかったのである
日本人は子々孫々にわたるまでこの恩を忘れてはならない」

物凄い違和感を感じた部分です
韓国生まれで日本に来た小学生をひとり知っていますが彼女はセーラームーンが日本のアニメであるということを認められず
それが本当であることを知ったときかなりショックを受けていました
日本=韓国のパクリばかりやる国という認識だったのに、それが真逆であるという現実を突きつけられ
いまだに混乱しているようです



485 :名無し三等兵:2008/01/20(日) 01:53:13 ID:???
あーなんかわかるなそれ。中国の留学生と話したとき「上海がアジアで一番の大都市」と
教えられて育ったので東京に来たとき本気で驚いたよとか言ってた。笑ったのはその話を聞いてた
韓国人留学生のセリフで「私もソウルが一番だと言われてたんでそう思ってた」。その後その二人が
「いくら電車で走っても街がとぎれない」とか「ベンツが凄く多い」とかどこの田舎から来たんだよ的な会話で盛り上がりw

でも「国の束縛がほとんど無いからとてもいい国だよね」って二人がうなずきながら言ってたのが一番印象的だった。
統制思想を強制して闇の部分が多い韓国・中国に較べたら日本はやり放題に見えるみたいよ。



486 :名無し三等兵:2008/01/20(日) 08:13:18 ID:???
>>485
最後の台詞、深いねえ。


487 :名無し三等兵:2008/01/20(日) 09:20:40 ID:???
>>485
たまたま日本の、それも東京が世界一なだけで、
日本人でも地方都市の人は東京来て驚くだろうね。


488 :名無し三等兵:2008/01/20(日) 12:28:10 ID:???
日本語変


489 :名無し三等兵:2008/01/20(日) 14:44:12 ID:???
「いくら電車で走っても街がとぎれない」のはアメリカやヨーロッパの人間も驚くらしいな
あっちだと鉄道って基本的に都市と都市を「都市じゃない場所を走って」繋ぐものだから
東海道あたりの、別の都市へと移動する道程にも町並みが延々と続いてるってのは
かなり奇妙に写るらしい


490 :名無し三等兵:2008/01/20(日) 14:57:44 ID:???


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  ∧_,,∧∧∧ ギリギリ…
 <||i‘Д /  \  
  (つ´゙(#   ) ……ねえよ
  | 'ヽ、    ノ
  ヾ ィ゙  , O)
   ~"(_) 、__)


491 :485:2008/01/20(日) 16:31:18 ID:???
>>486
ほんと心から出たセリフって感じだった。
その後自国の悪口が始まったんだけど韓国で学生運動やってた知り合いが秘密警察みたいなのに誘拐された話とか
中国が日本に就労ビザや留学生として送り込んでるスパイの話とか日本人には現実感のない話してたよ。


492 :名無し三等兵:2008/01/20(日) 17:34:19 ID:???
大陸の国だと、何も無い地域に都市が出現し、また延々と何もない中を延々と進むと次の都市が現れ・・という風景。
日本だと、山で区切られた少ない平地に人が密集し都市を形成し、山を越えると次の都市が出現するという具合。
関東平野は日本最大の平野だからそれはその分でかい都市が作られている。

493 :名無し三等兵:2008/01/20(日) 19:58:28 ID:???
元寇当時で賑やかな日本の都市はやっぱり京都?


495 :名無し三等兵:2008/01/21(月) 09:44:50 ID:???
今まで見たことない火薬兵器で混乱したのは確かだろうけど、1人ずつ名乗り出てたら
途中で元軍に囲まれてフルボッコにされたなんてギャグみたいな展開は無かっただろう。
当時の武士って棟梁を頂点として血縁や郎党がいて一個のグループだったから
個人戦闘といっても文字通り1人1人が名乗りあって戦ってたんじゃなくて
各武将達が各々のグループ毎に戦ってて全体の軍としての統率は取れてなかったってことじゃないの?
名乗りを上げるってのも、あれって軍記物の物語上1つの演出で
実際は名乗ってる暇なんてなかったと思う。
当時頻繁にやってた夜討ち朝駆けなんか名乗り上げてたら奇襲する意味ゼロだし。

ただワールシュタットの時みたいなだだっ広い平原で会戦してたら
間違いなく東欧連合軍と同じ運命を辿ってたと思う。
でも実際はそんな状況になる前に波打ち際で撃破されるか、
仮に上陸に成功しても、戦線伸びきったとこでゲリラ戦仕掛けられてあぼーんだったかと。



496 :名無し三等兵:2008/01/21(月) 10:27:15 ID:???
>>495
1人ずつ名乗り出てたら元軍に囲まれてフルボッコにされたなんて話は、資料的な
裏付けが全くない作り話。
実際はその反対。
鎌倉武士は組織力でモンゴル軍よりも優っていたから元寇で圧勝できた。

元史に書かれている文永の役失敗の最大の理由は元軍側の「官軍整わず」だからな。



497 :名無し三等兵:2008/01/21(月) 12:27:17 ID:???
高麗・元の軍勢を博多湾まで手引きしたのはやはり朝鮮人商人なのでしょうか?
軍勢は博多湾の地図などを持っていたのでしょうか?


498 :名無し三等兵:2008/01/21(月) 16:32:31 ID:???
>>497
耽羅(朝鮮半島南岸の済州島)の人間がフビライのために博多湾の地図を描いて
「大宰府に侵攻するためには2~3万の兵力が必要」と進言したという史料がある。

その他に、日本に使節として来た趙良弼とかも大宰府周辺の地形とかを詳しく
調べてフビライに報告してるから、高麗・元の軍勢は事前にかなり詳細な情報を
得ていたはず。


500 :名無し三等兵:2008/01/22(火) 09:19:46 ID:???
歴史群像シリーズの北条時宗では同じ筋力の射手が使用した場合、弦の素材や
矢の品質で優る和弓の方が、モンゴルの弓より飛距離や命中率が高いという
解説だったな。



501 :名無し三等兵:2008/01/23(水) 16:57:24 ID:???
弓のひき方が違うから、上から下に落とすようにする和弓の方が、同じ腕力の人でも肩の筋肉の分、モンゴル弓より強い弓をひけるんじゃないの?


502 :名無し三等兵:2008/01/23(水) 23:30:00 ID:???
武器の優劣って最終的には「実戦で勝った方の武器が優れてる」と考えるしかないんだよね


503 :名無し三等兵:2008/01/23(水) 23:51:23 ID:???
>>502
それは極端すぎる考えだな。敗れた側でも良い武器使ってる事がある。


504 :名無し三等兵:2008/01/27(日) 13:40:27 ID:3s5NrjfZ
蒙古弓はサイズの割には威力があるということであって、和弓と比べて威力があるという事実はない。
蒙古弓と比較するならば、半弓だろう



505 :名無し三等兵:2008/01/27(日) 19:43:41 ID:???
現代の洋弓と和弓では、洋弓の方がよく当たるとは聞いたことがある。
威力はともかく、難しいのかな。


506 :名無し三等兵:2008/01/27(日) 20:04:50 ID:???
>>505
西洋や中国の弓は、中央の部分を握って矢をつがえる
日本の弓は、中央より下の部分を握る

この位置を握ると、手にかかるショックは最小になるのだが、的に当てるのにかなりの技術が必要になる

魏志倭人伝にも、倭人の弓の使い方に関する記述があるくらいで、こういう握り方をするのは世界的にも珍しいらしい


507 :名無し三等兵:2008/01/27(日) 20:38:56 ID:???
いや、日本の弓は長いから中央を持つと下側が地面につかえるだろ


508 :名無し三等兵:2008/01/27(日) 21:14:29 ID:???
>>507
イングランドのロングボウも長いが、普通に真ん中を握るぞ


509 :名無し三等兵:2008/01/27(日) 21:42:30 ID:???
>>508
ロングボウ
4-6フィート(1.2-1.8メートル)

和弓
全長は七尺三寸(約221cm)を標準


510 :名無し三等兵:2008/01/28(月) 00:04:13 ID:KeStOezl
和弓の経験しかないけど遠距離までよく飛ぶんです。


511 :名無し三等兵:2008/01/28(月) 03:24:17 ID:???
弓道部の1m40ぐらいの女の子が使ってた弓もでかかったなあ。全然的に当たってなかったが


512 :名無し三等兵:2008/01/28(月) 12:45:45 ID:???
和弓と洋弓だと、上下だけじゃなく左右についても

和弓:中心より右
洋弓:中心、あるいは中心より左

に矢をつがえるという違いがあるけれど


514 :名無し三等兵:2008/01/28(月) 23:37:57 ID:???
>>507
縄文時代の弓は160センチ程度だったらしいが、当時はどういう握り方をしているのか気になるな
魏志倭人伝に書かれている時代の弓は、既に人間の身長を超すサイズだし


515 :名無し三等兵:2008/01/29(火) 10:26:10 ID:???

元寇の時代、日本の合戦の主戦力だった御家人は全員弓騎兵だよ。
騎馬兵育成に訓練時間と経費がかるからこそ、それが可能だった武士が日本で
絶対的な武力を持った存在として、支配階級に上り詰めることができたのだ。

それから、流鏑馬が現在の様な横方向へ射るスタイルになったのは江戸時代から。
鎌倉時代は騎射と言えば「追い物射」、
つまり逃げる敵を追いながら前方へ射撃することだった。
文永の役の際に少弐景資が語った作戦も、蒙古軍が寄せ来たところを、全軍で
追い物射によって迎え撃つというものだった。
これが、実際に文永の役で武士たちが戦ってる様子ね↓

http://www.lib.kyushu-u.ac.jp/hp_db_f/moukoshurai/e03.jpg
http://www.lib.kyushu-u.ac.jp/hp_db_f/moukoshurai/e04.jpg

元寇は、弓騎兵として鎌倉武士の方がモンゴル騎兵よりも優っていたから
勝利したんだよ。


517 :名無し三等兵:2008/01/29(火) 18:32:47 ID:???
>>513
和弓はあの長さなので「前に射る」のを想像すると、
馬体と馬首が相当邪魔になるのではと思われがちですが、
「前方射・押し捩り(パルティアのような後方射!)・馬手射」等の用語があり、
「X鞍に座ったまま射る」のではなく、「〇鞍から立ち上がって射る」
やり方をしていたようです。(和弓の下が短いのはこの意味も)
那須与一が遙かな船上の扇の的を馬上から射抜いた例もあります。



520 :名無し三等兵:2008/01/30(水) 18:58:16 ID:???
ハルジー朝のことも思い出してやってください。


>>505
アーチェリー(洋弓)やってるけど、命中精度は和弓よりずっと高いよ。
そもそも弓道(和弓)は“的に当てる”競技で、アーチェリー(洋弓)は“的の真ん中に当てる”競技だから。
それにアーチェリー(現代の洋弓)は命中精度を高めるために弓に色々つけたり、矢の硬さやポイント(鏃)の重さとか調節したりして、
当てることに全精力を傾けているから昔の弓とは別物だぞ。比べる方がおかしい。
現代ので比較するならモンゴルの弓(正式な名称は忘れた)とか韓国の国弓と比較しないと。

まあ、昔の弓だったら和弓は結構優れていると思うが。少なくともヨーロッパのロングボウなんかよりはずっと良い。

521 :名無し三等兵:2008/01/30(水) 21:22:36 ID:???

この時代の武士の戦術などについて知りたいなら、お勧めは近藤好和の「弓矢と刀剣―中世合戦の実像」だな。
もう絶版だけど図書館なんかには置いてあるだろ。
主に源平合戦について考察した本なんだけど、

笑っちゃうのは武士が集団戦法で戦う様子を描いた史料として
蒙古襲来絵詞を載せてること。
日本史研究者って、国内戦争の源平合戦と東アジア相手の対外戦争である元寇とで、
平気で矛盾する説明を使い分けてるのね。


525 :名無し三等兵:2008/01/31(木) 00:21:33 ID:???

中世合戦の本では、武士の一騎打ち戦法は否定されているのに、元寇関連の本には中世の武士は
一騎打ち戦法しか知らなかったと書いてある。
これって、日本史研究者は国内戦争と対外戦争である元寇とで、矛盾する説明を使い分けてるって
ことでしょ。

527 :名無し三等兵:2008/01/31(木) 02:21:00 ID:???
元寇一つ取っても軍事学の見方からすると、
日本側は文永役の教訓を生かして、
弘安役ではその戦闘教義も変化させ、
防塁を築き、部隊編成や戦闘方法も一変させた。
当然元側でも文永役の教訓を元に弘安役を行ったはずだが、
こうした考え方は歴史学はしようとしないし、
勝因と敗因の分析も内線防御とか機動と言った見方では行わない。
元寇の教訓を日本の防衛に役立てる事もない。


528 :名無し三等兵:2008/01/31(木) 02:51:56 ID:???
たった一日で元軍を撃退した文永の役も普通に日本軍の圧勝なんだけどな


529 :名無し三等兵:2008/01/31(木) 09:16:52 ID:???
当時の日本にはまともな海軍はなく、海上の相手には小舟で切り込みかけるゲリラ戦法がせいぜい
大打撃となると自然の力が必要だった
台風がなくて継続攻撃かけられてたら歴史が変わったかもね
この偶然がカミカゼが困ったら吹いてくれるさという困った考えになってしまうわけだが



531 :名無し三等兵:2008/01/31(木) 09:32:55 ID:???
防塁とそこで戦った武士たちに感謝ですね、近所の防塁跡へ今からジョギングしに行きます


532 :名無し三等兵:2008/01/31(木) 09:34:30 ID:???
文永の役では博多焼かれて批判されたからな。
それに防御施設があるのとないのとでは味方の損害に雲泥の差がでる。
戦域と被害を局限するという意味では大きかった。




534 :名無し三等兵:2008/01/31(木) 09:37:10 ID:???
しかも元軍は矢が補給できず、「弾切れ」を起こしたら、
退却するか全滅するかになる…実際そうなったようだが。



536 :名無し三等兵:2008/01/31(木) 10:09:43 ID:???
湾を延々と埋め尽くす大船団
元軍の千人単位の一斉射撃と黒々とした矢の嵐
矢羽が風を切る音の中で騎馬を乗り回す華やかな鎧武者
炎上する街、手に穴を空けられ繋がれ連れ去られる人々
夜間に音も無く目だけを光らせて斬り込む決死のサムライ達
北条得宋家の若き君主時宗、世界最大の帝国と大汗フビライ


…そんなスペクタクル映画が見たいニダ!



537 :名無し三等兵:2008/01/31(木) 10:22:51 ID:???
日本をモンゴルの奴隷の運命から救った英雄
北条時宗の時宗廟に先月お参りして来た。
鎌倉の円覚寺内で拝観料100円とお得。



538 :名無し三等兵:2008/01/31(木) 10:33:20 ID:mq2SNNJI
モンゴルの奴隷でしかも残忍な高麗人が支配する地獄絵図から救われた。
秀吉ナイスリベンジ。


539 :名無し三等兵:2008/01/31(木) 10:50:40 ID:???
朝鮮半島人民は秀吉の「唐入り」によって李氏朝鮮による奴隷支配から解放されましたが
そのことは忘れ去られているようですね、結果的にそうなっただけとはいえ
自分たちを解放してくれた人物に対してさえ感謝の念を持たないというのが朝鮮なのでしょうか
なぜか半島は日本が干渉するたびに人口も増え、良い時代平和な時代を迎えてしまうのです



542 :名無し三等兵:2008/01/31(木) 12:59:49 ID:GKmZSk+0
>>529
今更だが・・・・台風が来る前に蒙古軍は攻撃する意志はすでに消えております。
もう一度時系列で史実を振り返ることをお勧めします



543 :名無し三等兵:2008/01/31(木) 13:02:10 ID:???
文永では帰り道に台風にあった説が有力だっけか?
弘安だと話はまた別だが

547 :名無し三等兵:2008/01/31(木) 15:31:11 ID:???
日清日露での努力無視ですか


548 :名無し三等兵:2008/01/31(木) 15:51:23 ID:GKmZSk+0
役後の資料で神風を吹聴しているのは祈祷をしていた寺社のもの。
実際に戦闘を行った武士は当然自らの手柄を主張している。

そもそも武士達は台風のおかげで勝ったという意識はなく記録もない。
それは当然だろう。
文永の役は蒙古軍は帰路で大風に会い難波しており、日本側がそのことを知ったのは数年後のことだ。
弘安の役では、完全に元軍の上陸を防ぎきり1ヶ月もの間元軍は海上をさまよい逃げ続けたのだから。

また台風後も戦闘は続き、日本軍は皆殺しと言っていいほどの掃討戦を展開している。

神風思想などというものは近代人の、それも右翼左翼問わずリアリズムの欠如した人間の頭のなかにしか存在しないと俺は思う。


550 :名無し三等兵:2008/01/31(木) 17:12:16 ID:???

昔の人が本当に「日本は神の国、敵が来たら神風が吹き飛ばしてくれる」なんて
考えていたら明治維新は起こってない。
戦前の史書で文永の役は武士がちゃんと自力で元軍を撃退したと書かれていた。
台風のお陰で勝ったなんて嘘が広まったのは戦後になってから。




551 :名無し三等兵:2008/01/31(木) 17:34:19 ID:???
戦前、昭和天皇の歴史教科書に書かれていた文永の役↓

白鳥倉吉【国史】
『元はついに武力でわが国を屈服させようと、後宇多天皇即位の年に、高麗の兵を合わせ、
数百艘の船をつらねて、朝鮮海峡を渡り、まず対馬、壱岐をおかし、さらに博多地方に迫りました。
九州の豪族たちが奮戦してこれを防いだので、元軍は深く侵入できずに退却しました。文永末年の
ことでしたので、これを文永の役といいます。』


それが太平洋戦争で負けた後作られた歴史教科書だと↓

第七期国定教科書【くにのあゆみ】
『すると忽必烈は、文永十一年(西暦一二七四年)十月、九百せきあまりの船に、およそ四万の兵を
乗せて、博多湾に攻めこませました。武士たちは、勇ましく戦ひましたが、敵が上陸してきたため、
大そうなんぎをしました。ところが、大風がおこつて、敵の船をくつがえしたので、これを退ける
ことができました。』


553 :名無し三等兵:2008/02/01(金) 02:47:19 ID:???

戦中の一番おかしな時期ですら元寇観は武士も散々元軍相手に活躍して最後神風が止めを刺すみたいな話。
戦後みたいに武士が元軍にフルボッコにされて神風のお陰で勝ったみたいな話じゃないだろ。




555 :名無し三等兵:2008/02/01(金) 04:57:58 ID:???

文永の役で元軍が嵐に遭ったのは逃げ帰る最中なんだから勝因とは無関係。
弘安の役だって元軍が台風に遭遇したのは日本軍に2ヶ月間も上陸を阻まれた後。
日本軍が元軍よりも強かったから元軍は台風に遭遇するような状況になったわけで、
勝因が神風というのはおかしい。



557 :名無し三等兵:2008/02/01(金) 09:00:36 ID:???


「神風」が無かったと仮定しよう。

機動力と地形を熟知した鎌倉幕府軍が大敗する可能性があったのか?
騎兵兵力が歩兵兵力に包囲殲滅される可能性はほぼゼロと言える。
そして補給ナシでエンドレスに戦い続けられる軍隊など存在しない。

負ける事が無い日本と、勝つ事が出来ない元、日本の勝率はほぼ100%。

しかも日本は「九州防衛」に出て行かなかった大部分の勢力が未だ健在。



558 :名無し三等兵:2008/02/01(金) 09:30:11 ID:7uSjo2We
弘安の役終了時点でまだ関東から続々と進軍中。


560 :名無し三等兵:2008/02/01(金) 11:30:39 ID:???
博多で小学生をしていたころ教師に
箱崎宮に奉納された亀山上皇による「敵国降伏」の額が元軍を追い払ったのだと習いました
軍隊を持つことや戦争をするのは悪いこと、平和への祈りが何よりも大切なのだと
この国の教育には本当に醜いものがあります




565 :名無し三等兵:2008/02/01(金) 16:47:14 ID:???

モンゴル軍ってのは複数の侵略戦争を同時におこなうのが普通なの。
例えば、ヨーロッパ侵攻と南宋侵攻とか、中東侵攻と南宋侵攻とかね。
西方配備のモンゴル兵をカイドゥ戦に投入したら、東方配備のモンゴル兵は
バランスとって日本戦に投入ってのがモンゴル帝国のやり方。




567 :名無し三等兵:2008/02/01(金) 17:17:04 ID:???
史料に残ってる文永の役の元軍の構成は、蒙漢軍2万5千、高麗軍8千、水手などの非戦闘員6千7百で
主力はあきらかに蒙漢軍。
あと、弘安の役で日本に置き去りにされて皆殺しにあった元兵10万の中には、モンゴル兵も含まれて
いたけど、よほど大勢が参加しない限り、モンゴル兵が置き去りにされるなんて事態にはならないだろ。


569 :名無し三等兵:2008/02/01(金) 17:32:08 ID:???

元寇沈没船からの引き揚げ物

昭和55・56年度の調査
引き揚げられた遺物は、褐釉壷の破片143点(完形品3点)のほか、投石弾や片口などの石製品4点、
鉾先やインゴットなどの鉄製品8点、磚9点、青磁碗・小鉢3点など、総計171点を数える。

昭和57年度の調査
引き揚げられた遺物は、褐釉壷の破片など173点である。褐釉壷はいずれも破片で、ほかに磚57点、
碇石10点、石弾2点、青磁碗・石製片口・石臼各1点がある。

鉾先や投石弾などの武器は引き上げられてるけど農具は・・・?



570 :名無し三等兵:2008/02/01(金) 18:50:14 ID:???
ベトナム軍は元軍の司令官を捕虜にするなど大量の捕虜を得ている
かつて白村江で倭軍が一万数千の兵でわずか7000、170艘の軍船しかない唐軍に
惨敗し400艘の倭軍船を焼かれた時も生き残った倭兵のほとんどは唐軍の捕虜に
なった
一部の人間が言うように元冦において大きな戦いがあり、なおかつ勝ったと主張
するのであれば大量の捕虜を得てしかるべきである
陸続きでないのだからなおさらだ
しかし実際、大量の捕虜どころか少数の捕虜すら得ていない
本当に戦闘らしい戦闘があったのか?
太宰府を攻めるならモンゴル軍の戦術から考えて大型攻城兵器があってしかるべ
きなのにないし、日本軍が勝ったのであれば捕獲できたはずである



571 :名無し三等兵:2008/02/01(金) 19:47:54 ID:???
凄い香ばしいのが来た。

誰か相手してやれよ



572 :名無し三等兵:2008/02/01(金) 21:18:39 ID:???
壱岐・対馬住民はどうなったのか。

「手の平に穴をあけられて船に吊るされた」だけでも
残虐すぎて、そこから先を考えられなかったが…

こんなのがあった…

何十日もかけて航海し、到着した頃には食糧は不足状態であった。
そんな中、対馬・壱岐島で捕らえた女子供は絶好の食材に見えたに違いない。
捕らえて数珠繋ぎにした女子供を船内に積み込むと狭いし、
泣き叫んで喧しいし、糞尿を垂れ流す。さりとて殺してしまうと、
すぐに腐敗が始まる。だが舷側に吊るして生かしておくとすべてが解決する。
必要な時に必要なだけ引きずり上げて慰みものにした揚げ句食材として処理。


573 :名無し三等兵:2008/02/01(金) 21:21:05 ID:hXo771Iy
>>570
降伏した連中片っ端殺したから捕虜なんてほとんどいない。 白村江では滅亡した百済人約3000人程も日本に連れ帰ってるくらいだよ。
彼らを東国の開拓に当たらせたんだから。
負けはしたけど秩序正しく撤退した。
そうでなきゃ百済人をたくさん連れ帰るなんてできない。




575 :名無し三等兵:2008/02/01(金) 21:39:23 ID:???
南宋人は御家人に分配され、そうでないものは首を刎ねた。

蒙古兵の兜は戦利品として神社に奉納されていたりするからよく調べて見なされ。



576 :名無し三等兵:2008/02/01(金) 21:40:21 ID:hXo771Iy

日本の大鎧や日本刀の方が優れていた。
室町時代の日明貿易ではそれらは主要な輸出品だった。
事実中国の文献「元史」には生きて帰ってきたのは3人だけとある。


577 :名無し三等兵:2008/02/01(金) 21:46:02 ID:???
>>571 ワカタ オイカエス

『元史』外夷伝(日本側の資料ではない)
「七日、日本人が来り戦い、ことごとく死に、
残りの二・三万は、虜(捕虜)となって連れ去られた。
九日、八角島(博多?)に至り、ことごとく蒙古・高麗・漢人を殺し、
新付軍(南人の江南軍)は唐人であると言い、殺さずに奴(奴隷)とした」


>>572
南宋人以外の「高麗人捕虜」とかは、当たり前に皆殺しにしているな


578 :名無し三等兵:2008/02/01(金) 22:53:56 ID:???
文明も技術も持たないに等しい半島の蛮族など
捕虜として生かしておく価値がなかったということですね



579 :名無し三等兵:2008/02/01(金) 23:03:13 ID:hXo771Iy
いずれにせよ高麗人は降伏しても皆殺しにして南宋人は多少助けた。
諸悪の根源高麗人皆殺しはとてもいいことだと思う。



580 :名無し三等兵:2008/02/01(金) 23:25:20 ID:???
高麗人は奴隷にする価値すらなかったって事か・・・ある意味納得
唐入りでも秀吉が死んだってだけで諸大名がとっとと撤収したのもよくわかる 奴隷以下の利用価値しかない原住民に荒れ果てた土地じゃなぁ


581 :名無し三等兵:2008/02/01(金) 23:53:22 ID:PWskmiDF

日本兵は基本皆殺しだよね。長崎の鷹島ってとこに行った時、民俗資料館に
書いてあったけど、上陸しながら帰るべき船を大風で失った蒙古兵1千が、
鷹島に取り残され、上陸してきた1万強の日本兵に全員虐殺されてるんだっ
て。
蒙古兵達は皆武器を捨てて日本兵に泣きながら命乞いしたけど、これら
を生かしておいても益がないって事で殺しちゃったんだってさ。かなり徹底
してるよね。



582 :名無し三等兵:2008/02/02(土) 00:08:00 ID:???
例外的に日本と交流があった南宋兵のみは生け捕りにされ、
他は片端から皆殺しだったという・・。
今も各地に蒙古塚というものがありますな。

当時の幕府は高麗が蒙古と一体となって侵略していることをきちんと把握しており、
文永の役後は幕府主導で高麗の港を叩く計画まであった。諸事情により途中放棄されたが。
また弘安の役の後は、一連の戦乱によって被害を受けた松浦の兵は報復のために
同じく高麗に出向き荒らしまわったという。これが倭寇の始まり。

やられたら徹底的にやり返す、受けて立つどころか自ら攻める鎌倉武士。恐るべし。。



583 :名無し三等兵:2008/02/02(土) 00:25:05 ID:???
スレから少し遠ざかるが、古代から日本は南方地域にシンパシーを感じるようですな。

古代、白村江の戦いでも、新羅・唐という北方系の国に対抗し、百済という南方系の国を
日本は支援した。
元寇の時代では朝鮮半島はすでに北方系民族一色になっている。
だが大陸でも南宋とは親密な関係が続いている。得宗家では高僧を招いたりしている。


585 :名無し三等兵:2008/02/02(土) 00:48:53 ID:???
戦前から何度も人骨は見つかっているのだが・・。

一度でいいから、『蒙古塚 人骨』で検索してみなさいな


590 :名無し三等兵:2008/02/02(土) 11:39:50 ID:+apuVYEE

人骨が出てるのかどうかは知らんけど、たしか蒙古兵の死体は全部焼いてる
でしょ?大量の死体をそのまま土葬するのはまず無理。
しかし、日本人と大陸人ってやっぱ歴史観が違うよね。韓国では今でも秀吉
の朝鮮役の事を非難する人がいるって話だけど、対馬や鷹島では蒙古兵や高
麗兵による虐殺があった地域なのに、今ではそれらの国と友好関係結んでる
訳やし。対馬では韓国人旅行者誘致やってるし、鷹島はモンゴル村作ってる
し。

598 :名無し三等兵:2008/02/02(土) 20:03:01 ID:???
左翼教育の賜物だろうな

599 :名無し三等兵:2008/02/02(土) 20:17:15 ID:???
遊牧民は基本的に人口が少ない。
モンゴル人は侵略した国の兵を使い、さらに先の土地へ侵略するのが常套手段。
元寇も同じ。

600 :名無し三等兵:2008/02/02(土) 22:04:59 ID:???
東欧に攻め込んだのは「蒙古に率いられたキプチャク・スラブ兵」
中東に攻め込んだのは「蒙古に率いられたトルコマン・タジク兵」
南宋に攻め込んだのは「蒙古に率いられた漢人・キタイ・女真兵」



601 :名無し三等兵:2008/02/03(日) 04:40:25 ID:???

鎌倉時代は郎党も馬に乗る。蒙古襲来絵詞でも季長の幟持ちは騎馬


605 :名無し三等兵:2008/02/04(月) 09:01:08 ID:???
文永の役では120人以上の御家人が恩賞獲得してるんだけどね


607 :名無し三等兵:2008/02/05(火) 21:00:55 ID:???
文永の役当時、御家人は全国でも約480人なんだから120人も恩賞獲得すれば十分だろ

614 :名無し三等兵:2008/02/17(日) 08:19:36 ID:sz/l3M5H
話かわるが、元寇の際の苦労を書いた井上靖の小説ままおもしろかった。
国がぼろぼろなのに、兵隊だせ、すげえ数の船つくれって言われて苦労する朝鮮の話。


615 :名無し三等兵:2008/02/17(日) 09:32:02 ID:???
>>614
「風涛」だろ。
フビライを唆して日本を侵略させた高麗を無理やり被害者に仕立て上げようとした小説。

「高麗史」に記されてる忠烈王がフビライに日本侵略を唆す台詞の直訳
『日本は一島夷のみ、険を恃みて庭せず、敢えて王師に抗す。
臣自ら念うに、以って徳に報ゆるなし。
願わくは、更に造船・積穀し、声罪・致討して、蔑てて済わざらんことを』
※【声罪】罪を強調し、討伐する。


これが井上靖の「風涛」だと
『この広い世界の中で、日本という小さい島だけが険をたのんで不逞であります。が、やがては皇恩に
浴する日も参りましょう。そのために臣が為すことがあれば、何なりと御命令下さいますよう』


意味が全然違うじゃん・・・

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