盧溝橋事件の経緯~日本軍は支那軍の四度に渡る攻撃、七時間を堪えた。 【日本】【支那】

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蘆溝橋事件の経緯

日本軍は支那軍の四度に渡る攻撃、七時間を堪えた。
後になって劉少奇(リュウショウキ:中国共産軍)がスターリン(ソ連)の
命令で俺がやったと名乗り出ました。
共産党軍の兵士向けのパンフレットには、
「廬溝橋事件は我が優秀なる劉少奇同志(後の国家主席)の指示によって
行われたものである」
とはっきりと記述されていました。

又、昭和24(1949)年10月1日、「中華人民共和国」成立のその日、周恩来首相も、
「あの時(廬溝橋事件の際)、我々の軍隊(共産党軍)が、日本軍・国民党軍双方
に、(夜陰に乗じて)発砲し、日華両軍の相互不信を煽って停戦協定を妨害し、我
々(共産党)に今日の栄光をもたらしたのだ」
と発言しています。
共産党自らが「自白」しているのですから、これ以上の証拠はありません。


盧溝橋事件の黒幕はだれなのか。。
産経新聞平成6年9月8日夕刊には盧溝橋事件直後に中国共産党司令部
宛ての「成功せり」という緊急電報が届いていることを日本軍が傍受した
という事実がある。
なおかつ「廬溝橋事件は我が優秀なる劉少奇同志の
指示によって行われたものである」という内容が共産党の兵士向けの
パンフレットにのっていたともいわれる。

なお劉少奇は共産党の人物である。

批判として日本軍が支那大陸に駐留していること事態が侵略であると
いうものがあるがこれは全く意味をなさない。
なぜなら、 日本軍の駐留は条約によるものであって
決して侵略ではない。



 中共政権が支那本土を掌握した時(1949年10月1日)、中華人民
共和国宣言の際)周恩来首相は誇らしげに言ったのです。
「あのとき(支那事変勃発時)我々の軍隊が日本軍と中国国民党軍
(蒋介石軍)の両方に(夜暗にまぎれて)鉄砲を撃ち込み、日華両
軍の相互不信を煽って停戦協定を妨げたのが、我々(中国共産党)
に今日の栄光をもたらした起因である」

 動向5月号1539号「唐沢」を嗤って過ごせるか 参照

 戦史研究家 山内一正


日本は仕掛けられ、平和を申し込むがズルズルと深みにはまっていった

支那事変を仕掛けたのは中国共産党だ

昭和12(1937)年7月7日の深夜盧溝橋(ろこうきょう)で、中国側の
了解を得て日本軍が演習をしていました。
中国へ日本軍が駐屯していたのは、侵略の為ではありません。
清国が各国に対して(我が国も含む)駐兵権を認めていたのです。
その駐兵権に基づいて駐屯していたのです。日本人(当時朝鮮人を
含む)を守っていたのです。
その当時蒋介石軍と日本軍は親しくして何ら争いがなかったのです。
深夜突如として日本軍と蒋介石軍に不法射撃をして姿を消した者があ
ったのです。
両軍は互いに相手を疑い戦争が起きました。後になって劉少奇(リュ
ウショウキ:中国共産軍)がスターリン(ソ連)の命令で俺がやったと
名乗り出ました。これが支那事変となり、大東亜戦争にまで発展した
のです。
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